大森荘蔵 『時間と自我』
日常性に依拠し、哲学の諸前提を覆してきた著者が、時間と自我という根源問題に挑む。「アキレスと亀の逆説」「他我問題」を解消し、過去世界の実在をも疑わしめる臨界へと至る、澄明な思考の軌跡。
日本哲学界の重鎮、故大森荘蔵による時間三部作の第一作である。
大森哲学最大の魅力は、いかなる予備知識も要求しないその平易な語り口と分かりやすさにあるだろう。膨大な知識を保有していながらそれをおくびにも出さず、初心者と手を取り合って一歩一歩前進するエッセイ風の大森哲学スタイルは、その後の日本を代表する哲学者たちにも大きな影響を与えているように思われる。
他我問題やアキレスと亀のパラドックスについても論じられているが、後の哲学者たちによってもしばしば言及されるのはやはり過去の実在性の問題であろう。大森は現在と過去とのあいだに横たわる絶対的な断絶を指摘したのちに、過去そのものの実在性に対して懐疑の視線を向ける。
例えばわれわれは夢を見る。目覚めた後に見た夢を思い出す。夢を見るという現在形としての経験がまずあって、その後に見た夢を過去形として思い出す。だれもがそう信じている。だが大森は言う。現在形としての夢などというものはない。夢は常に目覚めた後に、あくまでも過去形として捏造される。夢は思い出されるのではなく、創られるものなのだ。
過去も同様である。かつての現在が、後に過去として思い出されるのではない。過去は一度も現在であったことはない。過去の一部が記憶としてよみがえるのではなく、過去とは記憶のことである。
他者の記憶とのコンセンサスの問題等、大森の過去非実在論に関してはネガティヴに論及されることが多いが、その独創性は他の追随を許さない。哲学を志す者にとって必読の書である。(amazonレビューより)
大森荘蔵 『知の構築とその呪縛』
16世紀に始まった科学革命は、世界を数量的に表現しようとする考え方をもたらした。けれども、それによって「心」に帰属するものが排除され、自然と人間の分離、主観と客観の対立が生じることになった。常識が科学へ展開していく不可逆的な過程で、何が生じたのだろうか。近代以降の科学史的事実を精査し、人間と自然との一体性を回復する方途をさぐる。
本書は近代科学によって構築された世界観とそれ以前の世界観とを対照とし、その融合を試みる内容となっている。我々には既に当たり前になっている、科学に支配された世界観を見つめ直すには最適な本であると思う。このテーマにはありがちな西洋思想対東洋思想という構造をとっていない点も面白い。また近代以降と近代以前の世界観を融合しようとする構想はかなりダイナミックなのに、その展開は慎重であることも大変魅力的だった。個人的には気軽に手にして、これほど得るものがあった著書に出会ったことがないように思う。何度も読み返したい一冊である。
論理展開はわかりやすく、趣旨がはっきりしていて非常に読みやすい。また専門的という意味での難解さもないので、読者を選ぶということもなさそうだ。二十年以上昔に書かれたことも、特に気にならない。ちなみに解説は野矢啓一氏が担当している。「BOOK」データベースのレビューも野矢氏によるもの。大森氏の理想に対する賛否を問わず、多くの人におすすめしたい良書。少しでも興味を持たれた方は是非。 (amazonレビューより)
『大森荘蔵著作集〈第7巻〉 知の構築とその呪縛』
大森荘蔵 『流れとよどみ―哲学断章』
大森荘蔵全著作一覧
『大森荘蔵著作集〈第1巻〉 前期論文集 I 』
『大森荘蔵著作集〈第2巻〉 前期論文集 II 』
『言語・知覚・世界』 (『大森荘蔵著作集 3』に収録)
『物と心』 (『大森荘蔵著作集 4』に収録)
『流れとよどみ―哲学断章』 (『大森荘蔵著作集 5』に収録)
『新視覚新論』 (『大森荘蔵著作集 6』に収録)
『知の構築とその呪縛』 (『大森荘蔵著作集 7』に収録)
『時間と自我』 (『大森荘蔵著作集 8』に収録)
『時間と存在』
『時は流れず』 (『大森荘蔵著作集 9』に収録)
『音を視る、時を聴く哲学講義』(坂本龍一との共著、『大森荘蔵著作集 10』に収録)